Knife In The Water / Roman Poransky

この映画は少し前にある映画館で一人で観た。非常にクオリティーが高く、画面全体に漂うサスペンシヴな空気にとても緊張させられた。どれほどピリピリした空気なのか、ちょっと冒頭のあらすじを書いてみる。金持ちの夫婦が車で湖に向かっていると、遠くに小さく人影が見えてくる。が、構わず夫はスピードを飛ばし、危うくハネかける。こんな出だしなのだ。この空気感で最後までいくのだからたまらない。

ヒッチハイクをしていた部外者の(上のあらすじで轢かれかけた)若者、ジグムント・マラノウッツとレオン・ニェムチェックの男二人と、ニェムチェックの美しき妻、ヨランタ・ウメッカの女ひとりという形でヨットに乗ったことで、男二人の間でピリッとした空気が生まれる。若いマラノウッツの青臭さが中年のニェムチェックとの比較で際立ち、ニェムチェックは若者を自らに従わせることで強さを見せようとする。そんな人間の中に横たわる言葉では表しにくいネトネトした、ある意味本能的な性質をあぶり出し映像に緊張感を上手く漂わせている。例えば、マラノウッツが大事にしているナイフで広げた指の間を速く突くという遊び、このなんともサスペンシブな遊びをマラノウッツがやりだすと、その幼稚とも言える無鉄砲さが気に食わないのかニェムチェックが軽くあしらうような素振りを見せて止めさせようとする。が、マラノウッツがナイフを置いたまま船内に入っていくと自分でもついやってしまう。というこんなシーンがあったり、夜船内で3人でゲームをやっているとき、― そのゲームの一環だったと思うが細かいことは忘れた ― マラノウッツがナイフを壁にかけたまな板に投げ、見事命中させる。するとやっぱり、ニェムチェックを何でもないような素振りを見せはするものの、やっぱり自分もやるのである。この二つのシーンのときの緊張感の高め方など本当に見事というほかない。両方とも失敗すれば自分の指を突き刺したり、水と内側とを隔てている一枚の木の壁に穴を開けたりしかねないわけである。そしてこのようなシーンを使ってナイフを危うい空気を作るものとして存在感を高めさせ、また同時にマラノウッツが如何にそれを大切にしているかを見せつけ、最後のクライマックスに向けて緊張感を少しずつ引き上げていくのだ。すると、見ている観衆は固唾のを呑んで見守る、という構図ができるわけである。

空気の作り方、という視点でこれまで書いてきたが、この映画の何よりの魅力は映像の美しさである。ヨランタ・ウメッカが美しいから映像も自ずと美しくなるに決まってるじゃないか、と(無論すごく美人なのには違いないが)言いたいわけではない。湖を走るヨットの後ろに映る景色の撮り方や、それこそヨットの上での人物の映し方、最後のクライマックスのときのまだ薄暗い風景のザラッとした質感の出し方が非常に上手い。これも最後の破局(に見える)シーンの演出に大きく貢献している。また役者の演技も素晴らしく、上で述べたような人間間の空気の醸成は彼らの高い演技力無しにはありえないだろう。

私はこの映画を見た時、始まってすぐ鳥肌が立ったゾワゾワ感と素晴らしいものに出会ったときの高揚感に包まれ、その感動は帰路の道中もずっと止まなかった。これほどの映画もそうそう沢山はないと思う。是非オススメしたい。


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投稿者: 早春

音楽を動力に、書物を枕に、映画を夢に見て生きる生意気な青二才。現在19歳。一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき。さる荒野にまだそこらの向日葵はあらねども、徒然なるままに、そこはかとなく書きつくれば、方片なき荒野の早春の日ものたりのたりかな。年経ればいま過ぐる日々をいかが思ゑむ

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