白昼の無頼漢 / 深作欣二

実は今回はイーストウッドの“Bird”にするつもりだった。が、見てみると、あまり良い出来ではなかったので変更してこちらでいこうと思う。ほとんど個人の感慨と愛に溢れた、まとまりや勢いのないダラダラとした仕上がりになってしまっていると思う 。エピソードを辿る分には面白かったが、映画としては私はあまり評価できない。

こちらの「白昼の無頼漢」は素晴らしい出来栄えだった。見ているととても深作欣二の映画愛を感じる。斜め下から撮ったり、作戦会議中の犯罪者集団を真上から撮ったり、廃村で銃、のみならず爆弾も使ってを交戦するといった、アメリカ映画さながらのシーンを作るなど、「これやりたかったんだろうなァ〜」と思えるシーンが山とある。それから冒頭から画面全体にある緊張感である。フィクションの香りも残しながら、エンタメとして観れる雰囲気に上手く完成させている。時間がなかったせいで少々の詰めの甘さもあるかもしれないが、そんな細かいことは気にさせないだけの面白さがある。観衆を魅せ、最初から最後まで心を掴んで離さない手腕は素晴らしい。

音楽も良い。アート・ブレーキーがやりそうな、シンバルの「チンチン」という音を鳴らしながらはじかれたように疾走するビートをつかっているが、日本でやると何故かその疾走感が半減してお祭りの太鼓みたいになってしまうあたりが面白かった。別に悪いことだと思っているのではなく、これはこれで、むしろこちらの方が和風な味わいになってよいと思う。その手作り感というか土着の匂いを私は愛したい。

また演技の点でも丹波哲郎の演技は凄かった。画面の中に登場したときから空気をガラッと変えてしまっている。その存在感、一つ一つの行動の威圧感が頭一つ抜きん出ている。中でも一番凄いのは最後の力演だ。「ジャコ萬と鉄」でも思ったが、丹波哲郎の演技はどこか人を納得させてしまう説得力がある。これが私にはどうも天性のものに感じられてならない。まァ顔が格好良いというのは勿論あるだろうが、それ以上に見ている観衆にウンと言わせる力があるのだ。映画の最後、丹波哲郎の直ぐ側で愛人に火を点けられたダイナマイトが爆発し、共犯者のトムとともに重症を負う。その死にかけの状態で爆風でバラ撒かれたサツを、爆発で空いた穴から腹ばいのまま拾い上げるシーンがある。ここでの彼の手の震え様、表情、死に方と言ったらもう、凄いの一言である。有無を言わせぬ凄み、迫真の演技とはこのことだ。だが同時にそれらは現実っぽくはないようにも思う。彼の演技はどこかエンタメ的で虚構であるように感じられるのだ。しかしこれはネガティブな意味で言っているのでは全くない。この映画は多くの映画と同じようにフィクションである。そこでは現実性ではなくエンタメ性と虚構性が必要だろう。彼の演技は虚構であるにも関わらず、あの迫力だから凄いのだ。

と、日本のエンタメ的な映画の魅力がギッシリ詰まっていて、楽しめること間違いない。時間的にも82分というB級らしくコンパクトにまとまっているので見やすいと思う。是非ご一覧あれ。

評価 :3/5。
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投稿者: 早春

音楽を動力に、書物を枕に、映画を夢に見て生きる生意気な青二才。現在19歳。一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき。さる荒野にまだそこらの向日葵はあらねども、徒然なるままに、そこはかとなく書きつくれば、方片なき荒野の早春の日ものたりのたりかな。年経ればいま過ぐる日々をいかが思ゑむ

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