Travels In The Scriptorium / Man In The Dark ― Paul Auster

1. Travels In The Scriptorium / 写字室の旅

「写字室」とは、修道院の写経する部屋のことを指すそうだ。独り、一冊の書からもう一冊へ文字を写す。この構図を本書に当てはめてみると、下のようになる。

  • 写す人  :オースター
  • 原典の作者:ファンショー
  • 写した本 :本書
  • その内容:舞台となる部屋

面白いのは、最後、物語がオースター自身の手からも離れて自立して回転し出すところだ。物語が実はオースターではなくファンショーによって書かれたものだということがわかり、そして物語は最初のくだりに戻る。最初の8段落が展開されると、そこまで読んだMr.ブランクの描写に切り替わるが、もはやこれがファンショーが書いたのかオースターが書いたのかわからない。つまり、Mr.ブランクの描写なのか実際の行動なのか、物語なのか現実なのか、物語の物語なのか物語なのか?また、Mr.ブランクがその他登場人物を「ひどい場所」へ「送り出した」という記述から、オースター自身がMr.ブランクではないかと考えることもできる。すると、Mr.ブランクが存在している限りその他登場人物も存在し続け、よってこの空間、時間も存在し続けるという構造の中に、オースター自身が「処置」によって現実から切り離された状態で存在し続けることになる。そうして物語は作者の手元をも離れ、独立したネヴァー・エンディング・ストーリーとして永遠の自転運動に入ってゆくのである。


2. Man In The Dark / 闇の中の男

As the weird world rolls on
(このけったいな世界が転がっていくなか)

Rose Hawthorne Lathrop(柴田元幸 訳)

この小説では2度、物語るシーンが出てくる。

1回目は、主人公オーガストが孤独の中、闇の中でベッドに横になって独り空想の物語を物語る。死んだ妻に対する思いに溺れてしまわないように、物語ることでそれを避けようと試みている。過去の過ちへの悔恨も相まって、自らの物語る物語の主人公はオーガスト自身を殺害する任を負わされる。

2回目は孫娘と一緒に横になって、祖父が孫娘に、オーガストがカーチャに物語る。カーチャも質問という形で、その物語るという行為に参加していることを考えれば、この2回目の物語は2人で紡いでいるのだ。傷心の2人はその傷の1つになっている、亡きオーガストの妻、ソーニャの物語を物語る。そしてもう1つの傷、カーチャの彼、タイタンについても回想する。そして最後に、2人で一歩前へ進み出ようとオーガストが言う。カーチャは寝入ってしまうが、最後、その母 ― つまりオーガストの娘 ― ミリアムとの会話でカーチャも少しずつ前を向き始めていることが分かる。私は、上の引用に一言はさみたい。

By storytelling, the weird world rolls on
(物語ることによって、このけったいな世界が転がっていく)

そう、物語ることによって、「ひどい」人生は転がってゆき、そしてありのまま、そのまま受け入れることができるようになるのだ。

「写字室の部屋」のミスター・ブランクは過去の記憶を失っていて、物語ることができない。漠とした悔恨や後ろめたさを感じるだけで、どのような物語があったのか思い出せない。つまり、他人にそれを吐き出せず、物語れない。しかし、同じように記憶が少々怪しくなりながらも過去、自らが他の物語を物語り続けて退け続けていた過去を物語ったオーガストは、最後は薄っすら差し込む朝日の中、そのけったいな世界が転がり去りつつあるのを感じたのではないだろうか。

論文のような理詰めの文章や、理屈で形作られたもの、つまり医学や薬品やサプリメントなどのみが人に効果を与え、納得させる効果を持っているのではない。理屈など無いように見える、ノリコと義父、ノリコと義妹、オーガストとカーチャの会話も、人を深い次元で納得させ、作用する効果を持っている。その様子と効用は、この書を読めば、自ずと解るだろう。読み終わったあと、心にぬくもりと感動、希望が余韻のように感じられたら、それがこの書の隠れた物語る人物、オースターの物語りの効用なのだ。

筆者撮影, 2022, 9月25日

評価 :3/5。
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投稿者: 早春

音楽を動力に、書物を枕に、映画を夢に見て生きる生意気な青二才。現在19歳。一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき。さる荒野にまだそこらの向日葵はあらねども、徒然なるままに、そこはかとなく書きつくれば、方片なき荒野の早春の日ものたりのたりかな。年経ればいま過ぐる日々をいかが思ゑむ

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