高い城の男 / Philip K. Dick

現実、ディックが描き出した世界、「高い城の男」が描き出す世界。3つの世界を交錯させながら現実世界に疑問符を投下した男、「高い城の男」ことフィリップ・K・ディック。私は弟は勧められて読んでみたのだが、アイデアとしては面白いものがあった。

冒頭で述べた3つの世界、これらは全てグレーな世界として書かれている。ディックが書き出した世界に登場する人物たちの発言からすると、彼らのいる世界もどうしようもない最悪の世界ではないらしい。ドイツと日本が世界を二分していて、米ソは弱小化している。その二国に引き裂かれた戦後のアメリカが舞台だ。日本サイドの太平洋岸連邦では、言論統制や人種による身分差はあれども、経済活動の自由はある程度認められているらしく、多くの人種の人がひとまず普通に暮らしていける程度ではあるらしい。独国サイドでは人種差別はかなり激しくナチ党等による人種排斥政策も取られているものの、比較的まともな政治家もいて完全な遂行には至っていない。そして二国の間には弱々しく合衆国が残っており、ここではユダヤ人などでもひとまずやっていけるというプロットになっている。要するに、世界全土が1984年という訳ではなく、全体としてはまずまずのグレーと言える。

「高い城の男」が描き出す世界では、米ソ・日独ではなく英米が世界を二分している。最初は近代化への希望に満ちた社会として書かれているが、最後にはチャーチルによって独裁化した英国の中国人に対する隔離政策が行われる。この世界も良い悪いとはどちらとも言い切れない。グレーなのだ。

現実はどうか。米ソ対立が続き、キューバ危機も起き、元植民地と元宗主国の問題、経済格差の問題もあり理想郷とは言えない。やはりグレーだ。そう、どの世界もグレーなのである。

「高い城の男」の描き出す世界について、ジョーはこう言っている。「人間の性なのさ」。現実の世界にこの書を投下することで、彼は疑問を投げかけたのだと思う。「今の世界のあり方は、正しいのか?」

誰にもわからないだろう。他の世界を示せと言われても示せないし、ましてやそこへの道筋なんて尚無理だ。しかし、考え続けることをやめてはいけない。自らに問い続けなくてはならない。ディックはそれを思い出させ、考えさせるきっかけを作ろうとしたのではなかろうか。

彼の示そうとしたことは、もう一つあるように思われる。それはその、いや、この絶対無き世界で人は如何にあらねばならないかという、人間像だ。あとがきに載っているインタビューで彼は作中に登場する田上氏のようなあり方を評価している。上の問いを持ち、自分が正しいと思う見地から物事を判断し、信念を貫き通す。他にもジュリアナ、チルダンなどの人物がそのような行動を作中で見せる。彼はこの人間のあり方も同時に示そうとしたのだと思う。

個人的な感想を述べると説得力にかける点が多々あったが、上で述べた問いかけという意味では意味ある書だと思う。手にとって読んでみると、きっかけを与えてくれる書だと思った。

評価 :0.5/5。
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投稿者: 早春

音楽を動力に、書物を枕に、映画を夢に見て生きる生意気な青二才。現在19歳。一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき。さる荒野にまだそこらの向日葵はあらねども、徒然なるままに、そこはかとなく書きつくれば、方片なき荒野の早春の日ものたりのたりかな。年経ればいま過ぐる日々をいかが思ゑむ

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