ソイレント・グリーン / リチャード・フライシャー

オースターの最後の者たちの国のような、人ばかりが多く、物は足りず、自殺施設と人肉工場がある世界。食料は配給制になり、政府と警察ばかりが権力を握る。

ヘストンが「ソイレント・レッド」を食べる。ただの四角い板同然である。味はしない。向かい合って座るロビンソンは顔をしかめて、顔の前で手を振る。

ヘストンがリンゴとレタス、バーボン、牛肉を持ち帰る。ロビンソンは顔をほころばせる。2人は向かい合って座り、レタスをほおばり、ビーフシチューを食べる。このシーンはトントントンと拍に合わせて定速で優雅に進む。

ヘストンは今度はジャムのついたスプーンを持ち帰る。ロビンソンはまたも顔をほころばせる。そしてスプーンを3度も舐める。

2度とも特権階級的な金持ちの家から持ち帰ったものだ。この世界では、匂いと味は贅沢品なのである。であるから、ビーフシチューを食べるシーンは、定速で、優雅に、格式を伴って、文化的に映されるのである。

この映画は、匂いと文化についての映画である。


「いるだけで雰囲気が変わる」という俳優がいる。ウェルズは破格だが、他にもアグネス・ムーアヘッドや笠智衆、そしてエドワード・G・ロビンソンがそれである。「深夜の告白」、そして何より「犯罪王リコ」において素晴らしい演技をスクリーンで演じてきた彼は、この映画で101本目の出演だそうである。そして101本目においてもなお、やはり名優であった。野菜やビーフシチューを久々に口にした時の表情、ジャムのついたスプーンを加えた時の身振り、それら一つ一つに彼らしさがみなぎっていて、画面が豊かになっている。


テクニカルな面でも、この映画には巧いところがいくつもある。例えばチャック・コナーとその「家具」愛人を殴るシーンだ。コナーが殴られるのはカットを入れながら撮られるのに対して、愛人ポーラ・ケリーの方はヘストンの背後に構えたアングルで、ノーカットで撮られているが、これがなかなか巧い。無論一方的に見せたい云々の意図はあるのだろうが、きれいにテンポをつくってパン、パン、パンと最後までもっていく。見事なカメラさばきだった。またほかにも、ロビンソンが安楽死するシーンの自然 ー この世界では「自然を見る」というのもまた贅沢品である ー の見せ方や、ヘストンの血がべっとりついた上に向けた手からカットでチューリップの映像にもっていくところなんてなかなかゾッさせて面白い。しかしやはり、特筆すべきは最初のモンタージュである。

アメリカ入植から始まって歴史が進んでいき、1973年も通り越して2022年、去年まで進む。これを写真の映像だけで見事に伝えているのである。写真の上を動かしたり、ズームアウトを入れたりしながら巧くテンポをつくっていて、なおかつ飽きさせない。最近のMVよりも、非常きれいにに整っているし面白い。これを見るだけでも見る価値があるんじゃなかろうか。

評価 :2/5。
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投稿者: 早春

音楽を動力に、書物を枕に、映画を夢に見て生きる生意気な青二才。現在19歳。一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき。さる荒野にまだそこらの向日葵はあらねども、徒然なるままに、そこはかとなく書きつくれば、方片なき荒野の早春の日ものたりのたりかな。年経ればいま過ぐる日々をいかが思ゑむ

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